お友達に勧められて映画「よみがえりのレシピ」を観てきました。
東北は山形で「在来作物」を作り、伝え、知ってもらおうとしている人たちのドキュメンタリー映画です。
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「在来作物」という言葉を知りました。
「種苗」は代々親からバトンのように継承されてくるものだと知りました。
今の流通に乗ることができない繊細な野菜は私たちの前から消え、かつての貧しい時代を支えてきたそんな野菜たちがどんどん絶滅していっているということも知りました。

大切にその「種苗」を守り続けてきた人、「在来野菜は地域の文化財」だとして保存活動をしている農学博士、そして「在来野菜」を使い「食べてもらうこと」しか絶えていく野菜を守ることはできないと使命感を持つイタリアンのシェフ。

農学博士もシェフも、素材が好きで、素材をどうしたら一番おいしくなるか考えることが大好きな、そして誰も知らないものを発掘することも大好きなんだな~~と伝わってきます。

写真の右下は確か・・・外内島(とのじま)キュウリのピザでした!!
食べたいよね~~~(^^)

HP貼っておきます。http://y-recipe.net/
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by irohanihoheto_ku | 2013-04-30 12:09 | 日常

プチ奥の細道紀行③

壺の碑に泪し、芭蕉は次の歌枕、沖の石、末の松山へと向かいます。
「末の松山」のくだりです。

それより野田の玉川・沖の石を尋ぬ。末の松山は、寺を造りて末松山といふ。松のあひあひ皆墓はらにて、はねをかはし枝をつらぬる契りの末も、終(ついに)はかくのごときと、悲しさも増りて、塩釜の浦に入相(いりあひ)のかねを聞く。五月雨の空聊(いささか)晴れて、夕月夜幽に、籬(まがき)が島もほど近し。蜑(あま)の小舟こぎつれて、肴わかつ声々に、「つなでかなしも」とよみけん心もしられて、いとど哀也。・・・・
このくだり、芭蕉の頭を多くの古歌がよぎり、芭蕉の文章ものってると思いませんか??
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古歌を調べてみるとこんなにあります。
「夕されば汐かぜこえてみちのくの野田の玉川鵆(ちどり)なく也」 能因法師
「我恋はしほひに見えぬ沖の石の人こそしらねかはく間もなし」 二条院讃岐
「君ををきてあだし心をわがもたば末の松山波もこえなむ」 古今集
「ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山なみこさじとは」 清原元輔
「我せこをみやこにやりて塩釜の笆の島にまつぞわびしき」古今集
「世の中は常にもがもな渚こぐあまの小舟つなでかなしも」源実朝

例えば、ユーミンが好きだった大学時代、歌に出てくる「ドルフィン」というお店に行き「あ~~あれが三浦岬だぁ~~~」と興奮したり、サザンの歌に出てくる江ノ島をながめ浸ってみたり、、、とっても平たく言えばそんな芭蕉の気持ちが感じられるのは私だけでしょうか?
また、松林に中にある墓場をみて、比翼連理の契りを交わしても「ついのすみかはここかぁ~~」と空しくなったのかな?無常観を感じたのかな?なんだか旅人芭蕉を身近に感じます。

こちらが「末の松山」。大きくて立派な松です!写真右下は奥の細道の記述通り墓地になっています。
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「末の松山」は海岸からかなり離れたところにあり波が越えて来ることはあり得ない。「波が越える」ということは契りを結んだ愛が破局することを意味し、「末の松山」は変わらぬ愛情を表す歌枕なんですね。
また、 「はねをかはし枝をつらぬる契り」とは比翼連理の契りのこと。

もちろん東日本大震災でも「波は越える」ことはありませんでしたよ。

先生をお連れした日はとても天気が良く、風も気持ち良い日で、この2本の松を眺められ、「この風は海風か?」と塩釜の浜の気配を感じておられ、また、「松風、般若を談ず」とおっしゃって「般若とは智慧だ、頭脳ではなく大自然とか、宇宙とかの・・・」と教えていただきました。

帰京後に頂いたお葉書に、「松風に心身を洗ふ」と書かれていたのでこの時間は良い時間だったのだなと嬉しくなりました。

そして、末の松山から少し下ると「沖の石」があります。安全の為か柵がめぐらされ動物園のようで風情に欠ける状態ではありましたが、新しい家が立ち並ぶ現在致し方ないのでしょう。
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お陰様で、随分地元のことが分かるようになりました(笑)どうぞ、皆様お出かけくださいませ。
プチ奥の細道紀行、お付き合いいただきありがとうございました!!
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by irohanihoheto_ku | 2013-04-28 17:46 |

プチ奥の細道紀行②

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さて、「壺の碑」と言われる「多賀城碑」のことです。
私が訪ねた時間に運よくボランティアガイドさんと遭遇し、これまた自称「多賀城ファン」という方でこの碑について熱弁を振るってくださいました。お陰様で奈良と多賀城を結ぶ線、大和朝廷の勢力、そして政権交代の悲哀なども垣間見られ、学校で習った歴史がリアルに迫ってきました。
ブログを作る今になって、さて、あの碑の名前はどうして「壺?」という疑問が湧いてきましたが、それはまた別の機会に勉強したいと思います。
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この写真では「西」しか見えませんね(^^;
芭蕉が奥の細道で立ち寄った「壺の碑」には何が刻されているか・・・・漢文は読み下しで載せますね。
字は風化していますが六朝風です。
多賀城市のサイトも載せます。http://www.city.tagajo.miyagi.jp/monosiri/bunkazai/zyuubun/      
多賀城       京を去ること一千五百里
            蝦夷国の界を去ること一百二十里
            常陸国の界を去ること四百十二里
            下野国の界を去ること二百七十四里
 西          靺鞨国の界を去ること三千里
      此城は神亀元年 歳(ほし)は甲子(きのえね)に次(やど)る、按察使(あぜち)・兼鎮守将軍・従四 位上・勲四等大野朝臣東人の置く所也。天平宝字六年 歳(ほし)は壬寅(みずのえとら)に次(やど)る、参議・東海東山節度使・従四位上・仁部省卿・兼按察使・鎮守将軍藤原恵美朝臣朝獦(あさかり)、修造する也。
                                    天宝宝字六年十二月一日


多賀城からの四方各地の距離を示した内容が刻されているのです。
多賀城は大和朝廷が蝦夷制圧するために軍事拠点としていたところです。
この記録は、続日本紀にされていない内容でこの碑の記録が時代の前後を推測するものさしとなったということから重要文化財に指定されたとガイドさんが教えてくれました。

さて、この碑から分かること・・・・

蝦夷の国という国はないので、多賀城から120里のところ、ガイドさんによると築館だという・・築館以北がその当時は蝦夷が住んでいたということらしい。そして靺鞨は渤海だろう・・・三千里というのは果てしなく遠いという単位ということ・・・

多賀城は神亀元年に築かれた。神亀元年は724年。芭蕉が壺の碑のくだりで「聖武天皇の御時に当たれり」と記述している通り、724年は聖武天皇即位の年。

それで、天平宝字六年に藤原恵美朝臣朝獦がその城を修繕したというのです。
朝獦とは、藤原仲麻呂の息子。仲麻呂は不比等の子武智麻呂の子(光明皇后の甥)だから藤原四家の一つです。

聖武帝即位の年多賀城築城、その38年後である762年(天平宝字六年)に藤原不比等にとっては曾孫にあたる朝獦(光明皇后の甥の息子)が多賀城を修繕するわけですね。

場所を奈良に移します。
724年 聖武帝即位  
727年 渤海より使者が来る
729年 光明子皇后となる
730年 薬師寺東塔、興福寺五重塔建立
737年 藤原4兄弟疫病で病死  752年ごろから藤原仲麻呂全盛
758年 聖武帝と光明皇后の娘である孝謙天皇が淳仁天皇に譲位
      実権は仲麻呂が握り、仲麻呂の後見人である光明皇后の強い影響力があった
759年 唐招提寺金堂・講堂完成   
760年 光明皇太后崩御
763年 道教が孝謙上皇に重用される
764年 藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱 道鏡・孝謙上皇側に敗れ大津で息子朝獦とともに殺される。
      孝謙上皇は称徳天皇として重祚
770年 称徳帝没、道鏡追放、光仁天皇即位・・・天智天皇系へ戻る

    
今度は芭蕉が旅した1689年(元禄2年)に行きましょう。
聖武帝即位から965年後、まさに千歳の記念(かたみ)の碑であったのでしょう。

ここからは多賀城ファンのガイドのおじさんの熱弁の受け売りですが、

一時期全盛を誇った藤原仲麻呂が光明皇后(仲麻呂の叔母)死後、孝謙上皇が道鏡に肩入れした為に政権争いに負け息子とともに殺された、その悲劇の息子朝獦の名前と遭遇したことで「今眼前に古人の心を閲(けみ)す」と・・・単に西行法師が訪れた同じものを見ているという感慨ばかりではないのではないかと・・・・

う~~ん、古に心を馳せる・・・その想像の翼は広がります。そうすると歴史も楽しくなりますね。





  
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by irohanihoheto_ku | 2013-04-28 00:57 |

プチ奥の細道紀行①

先週のことです。「若冲展」を見るために東京から書道の師が来仙することになり、限られた時間で少しでもご案内をしたいと思い、「プチ奥の細道紀行」を考えました。
今日はその下見に訪れた記録です。

奥の細道では、芭蕉は福島から宮城に入り、現在の白石市、岩沼市を通り、名取川を渡り仙台に入ったのが、 「あやめふく日也」 。5月4日(旧暦)とされています。

時期はまだ櫻ですが、芭蕉の歩んだ道のりを少し散策してみました。

奥の細道、「宮城野」というくだりで陸奥国分寺跡の「薬師堂」に寄ります。ここで出会った画工加右衛門という人に、餞別として歌枕の所在を書いた地図と、「紺の染緒をつけたる草鞋」をいただくわけです。

で、 「あやめ草 足に結ばん 草鞋の緒」という句が出来上がります。

今回の散策は、その次のくだりから・・
もらった地図をたよりに「壺の碑」を目指します。

「壺の碑 市川村多賀城に有」
「つぼの石ぶみは・・・・苔を穿ちて文字幽か也。」


古来から歌枕に読まれていて、憧れの西行法師も訪れた場所ですから感慨もひとしおでしたでしょう。

「ここに至りて疑いなき千歳の記念(かたみ)、今眼前に故人の心を閲(けみ)す。行脚の一徳、存命の悦び、羈旅の労を忘れて、泪も落るばかり也。」

こちらが、「壺の碑」。国重要文化財に指定されている、日本書道史上の三大古碑の1つです。(他に栃木県の那須国造碑、群馬県の多胡碑)
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(建物の中に入っています。)
壺の碑とは「多賀城碑」のこと。
さて、重要文化財に指定されている「多賀城碑」についてはまた次回。
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by irohanihoheto_ku | 2013-04-27 10:12 |

2013年4月21日

我が家の玄関先の櫻・・・・氷漬けでした。
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by irohanihoheto_ku | 2013-04-22 08:41 | 日常

八幡宮で花見

博物館を後にして、帰り足で大崎八幡宮に立ち寄りました。
櫻、満開です!
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鳥居を覆うように咲く櫻に誘われたのもありますが先週のお稽古の時、ある子に「先生、八幡様の八って鳩なの?」と聞かれて、あれ?装飾豊かな字だったけど鳩だったかな???と軽くあしらってしまったのが引っかかっていてその確認も兼ねて寄ってみました。
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大崎八幡宮は仙台六十二万石の総鎮守府として慶長十二年(1607年)に鎮座されたと由来にあり、後の日光東照宮につながる権現造りの現存最古の建築物として昭和27年に社殿全体が国宝に指定されたということです。
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ボランティアガイドさんの丁寧な説明のおかげでブログが進みます。
ガイドさんが、「八幡宮の八を見てください」
(来た、来た!!)
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八幡様の総本家である宇佐八幡宮に鳩が神託を運んできたということから、古来鳩は八幡様の使いとしてあがめられてきたということです。
な~~るほど、鎌倉の鶴岡八幡宮のお土産は鳩豆と鳩サブレーなわけね!!
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因みに、左の古い額の「八」はお顔が外を向いていますが、右は向かい合っています。右は伊達家五代藩主吉村の筆だそうです。向かい合って可愛いですよね。
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そしてこちらが御社殿の屋根の構造です。長方形の一枚の板を「こけら」と言うそうです。
「こけら」って「柿(かき)」ではなく、こう書くそうですよ。へ~~~っ!!
「こけら落とし」とは、建物が完成した時に屋根に付いているごみを掃いて落とすから「こけら落とし」と言うそうです。へ~~っ!

ボランティアガイドさん、詳しく教えてくれてありがとうございました。

次の日は、プチ奥の細道紀行です。
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by irohanihoheto_ku | 2013-04-21 01:12 | 日常

花に誘われぶらぶらと

東日本大震災復興支援の特別展「若冲が来てくれました」を見てきました。今日で2回目。来週も見る予定です。
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博物館がある場所は、仙台でも仙台らしいところの1つ。
仙台城(青葉城)は広瀬川を自然の堀とした山城です。そのお城があった青葉山のふもとにあるのが仙台市博物館です。
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山をかざる櫻に誘われしばらく散歩してみました。
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この道の先、坂を登ったところには昔大手門がありました。
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今は左側に隅櫓が残るのみです。
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こちらは大橋の上から望む広瀬川。
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この山が仙台城があった青葉山。有名な伊達政宗の騎馬像があるところです。

今日はお稽古の無い曜日だし、生活の方も一段落し本当に久しぶりにのんびりした昼下がりでした。
あ~~仙台、きれいだな~~ともう少し足を延ばしましたよ。次に続きますね。
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by irohanihoheto_ku | 2013-04-19 22:40 | 日常

朝日に匂う・・・・

滝桜、4月14日午前5時30分から6時の間の様子です。
4時半起床、5時に郡山のホテルを出発し5時半に現地に到着。
既に、多くの方が三脚を立てスタンバイ済。 

まだ逆光ですが、とりあえずカメラの逆光モードを使い1枚。
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少しずつ少しづつ、櫻のてっぺんの方から明るくなってきます。
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櫻、梅、桃が一斉に咲くことが「三春」の名前の由来だそうですが、この時期は他に連翹の黄色、柳の新緑と優しい色に包まれていました。
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ここは福島原子力発電所から数十キロ圏内でもあります。何か所かの応急仮設住宅の側を通りましたし、宿泊した郡山のビジネスホテルでは、復興作業の為に滞在しているだろう方々もいらっしゃいました。

そんな状況の中で、櫻は1000年の間そうだったように、与えられた状況の中で咲き誇っているのです。
みんな何かしらのメッセージを受けて帰られていることでしょうね。
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by irohanihoheto_ku | 2013-04-17 09:39 |

幽玄

13日の午後のTVでもう8分咲きと聞き、思い立ってようやくホテルの部屋を押さえ車を走らせました。
走ること2時間。始めて走る夜道ではナビは大きな安心になります。
真っ暗な田舎道・・・目的地に近づくにつれ連なる車・車・車・・・・丘を登り切ったとき、車窓から見えたものは目を疑うようなこんな景色でした。
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山の中に輝く大きなシャンデリア・・・・ライトアップされた、THE「滝桜」です。
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↑正面
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↑右側から
↓左側から  幹の太さ、見えますか? 幾本もの柱に支えられて大きな枝を張っています。
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↓裏に回ります
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中を覗くと奥行きの深さに引き込まれます。
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滝のようです。
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1つ1つの花は小さいんですよ。
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ここは福島県田村郡三春町。国の天然記念物で日本三大桜の1つ、「滝桜」。
樹齢1000年を越えるベニシダレザクラです。

一画は能舞台にも、歌舞伎の舞台にも見えましたが、私は始終「怖い」と「美しい」の間を彷徨う感覚でした。

次の日は朝の滝桜を愛でに郡山のホテルを5時出発!
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by irohanihoheto_ku | 2013-04-14 23:17 |

入学式とその後

大学の入学式に親は行かなくてもいいや~~といつもなら思うのですが、考えてみると息子のときは震災があり、なんだかわからない間にとにかく仙台を出してやりましたので、進学の喜びみたいなものはどこかに置いてしまった感がありました。

下が娘なので入学式というのも最後、式に参列してから帰ることに。
4日は昨日までの雨も止み、とても暖かい春の日になりました。入学式は国の文化財に指定されている大学の講堂において粛々と執り行われ、伝えられてきた形を毎年重ね伝統を引き継いできたという・・・「日本」という国の静かな「美」みたいなものを感じるシンプルですがすがしい式でした。

その後、JRお茶の水駅経由で学生時代は遠くからしか見たことがなかった「ニコライ堂」見学。
正式名称は「東京復活大聖堂」というそうです。
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聖橋から。
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正面。
ハリストス正教会=ロシア正教と思っていましたが、そうではなく、ハリストスというのはキリストのギリシャ語読みで、各国に一組織を作るのが正教会の原則だそうですから、「日本正教会」が正しいとのこと。(東京復活大聖堂パンフより)  「仙台にもありますよ」と受付の品の良いおばあちゃまに言われましたが・・・さて、どこだろう??首をかしげてしまいました。

ロシアから日本に伝わった教会ですから、東欧諸国の建築なのでしょう。ステンドグラスもきれいでしたが、ブルーの色が印象深い講堂内でした。
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ニコライ堂の鐘です。

こちらはさだまさしの「檸檬」の場面、聖橋から望む湯島聖堂。
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湯島聖堂を眺め、お茶の水から千代田線に乗り向かうは表参道、根津美術館。
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「遠州・不昧の美意識」を見てきました。
お茶道具を見ていつも思うのですが、銘というのは不思議なものです。どれも唸るような銘が付けられているのですが、ものというのは名前が付くことでその名に添うように化けていくのではないかと思うほど個性が引き立つような気がするし、名は呪というのも分かるような気がします。
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良寛さんの書「天地」がありました。大きい字で書かれた「天地」と小さい字で書かれた「天地」。それぞれ、大天地、小天地と呼ばれているそうです。手を合わせる仏像や神棚がない貧しい人に「天地」と書いて渡したということです。信仰の対象になった書なのです。根津美術館のサイトを貼っておきます(大天地)。良寛さんにとって神仏は「天地」・・・・http://www.nezu-muse.or.jp/jp/collection/detail.php?id=00288

4日の夜帰仙しました。
今週までお稽古が春休みなので、今日、5日はゆっくりできる最後の日。留守中に溜まった仕事を午前中に片付け、午後は久しぶりのPCタイム!またボチボチブログ更新しますね。
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by irohanihoheto_ku | 2013-04-05 15:39 | 日常