カテゴリ:旅( 55 )

「みのり」に乗って①

リゾート列車「みのり」に乗って紅葉も終わりかけの鳴子方面に行ってきました。
東北本線で宮城の松島海岸を眺め、内陸の小牛田(こごた)から陸羽東線に入り山形の新庄が終点の運航日限定で車内では観光アナウンスもある快速列車です。
私たちは「中山平温泉」で下車、そして県境の「堺田」に寄り、「鳴子温泉」の戻るという計画を立てました。

リゾート列車というもの、初めて乗りましたが、それがなかなか快適。
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今年は5周年と言うことでキャンペーン中で、宮城県観光 PRキャラクター「むすび丸」や仙台駅オリジナルキャラクター「トキムネくん」もホームにお出まし、JRの方もこうしてお見送りしてくれ気をよくして出発進行です!!
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全車指定席ですが1号車にはこうした自由の展望席があり譲り合って座れるようになっています。
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乗車してから一番先の展望名所は松島・・・・だったはず・・・・友人と今日の日程をおしゃべりしていたらあっという間に「小牛田」(笑)松島?何時停まった?って感じで・・・・
陸羽東線に入ると先頭からの眺めはこんな風↓
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さて、紅葉の名所である「中山平温泉駅」で下車し遊歩道を散策。
色とりどりの紅葉は終わっていましたが、お天気に恵まれ最高の散策日和!
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なんだか奈良の山の辺の道を思い出します。↑

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「線路は続くよ~どこまでも~~」・・・本当に線路をつたったらいろんな世界につながりそうなワクワクした気分になる景色です。ここまでが宮城県、次の駅は山形県になります。
線路の左側の煙は温泉の湯けむりですよ。民家でも温泉を掘っているのでしょう、ボーリングしている場所が数か所ありました。
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遊歩道の最後の出会った大きな「イロハモミジ」。パワーいっぱい貰えそうな森の主の風格です。
青空に映えてきれいでしたよ。
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一時間に一本の電車を逃がすわけにはいかないのでイロハモミジにサヨナラを言ったら一目散に駅へ
向い、今度は各駅停車に乗り「堺田」へ向かいます。
先週の寒かったときに降ったのでしょう。日陰には溶けない雪がありました。
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「堺田」は一緒にいった友人が是非降りたい駅だったのです。 続きます。
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by irohanihoheto_ku | 2013-11-20 15:31 |

2013 GW⑤

比叡山会館について夕食までの時間、2人の母にはお部屋でくつろいでもらい、私たちはケーブルカーで坂本の町に下りてみました。
日本一長いケーブルカー、晴れていたので眺めは最高でしたよ。
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ケーブルカーの終点「坂本駅」を降りたところには高校野球の名門、比叡山高校があり、ちょうど部活の時間であの山道を、野球部、陸上部と思われる子たちが走っていて、高校時代の息子とダブり懐かしかった~!
この坂道素敵でしょう。ゲーブルカーの駅界隈の散歩でしたが、坂本は素敵な町でした。こんな道が通学路だなんて・・・いい風景です。
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日吉神社にお参りしました。
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大きな神社。狛犬さんがそれぞれのお堂の両側を守っていらっしゃいます。ここにお座りになっている狛犬さんって珍しくないですか?
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比叡山会館は宿坊とはいいますが、お料理が精進の他はほとんどホテルと同じです。
翌朝は、6時半から根本中堂での勤行に参加させて頂きました。
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いつも団体参拝の世話役の義母が驚くほどに人が少なく、こんなことは珍しいそうです。
連休後半の3日の日からは全館満室とおっしゃっていたのでいいタイミングでした。

比叡山延暦寺。
主人の祖父、父が修行されたご縁の深いところです。
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また、この地で日本の仏教が育まれ、多くの偉大な名僧を輩出してきたところなんですね。大講堂には名僧の方々の像が安置され、肖像画も掲げられています。
見渡すと歴史の資料集そのもの・・・・・
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浄土宗の開祖法然、浄土真宗の開祖親鸞、臨済宗の開祖栄西、曹洞宗の開祖道元、日蓮宗の開祖日蓮など、新仏教の開祖達はみなここで修行しているのです。「日本本仏教の母山」と言われる所以か・・。
凄いお山だな~~。

そして、この日は主人の実家のある岡山へ向かい旅は終了です。
岡山の様子はまた別の折に!!

帰ってきてから、旅の写真をアルバムにして2人の母へ母の日のプレゼントに贈り、なんとなく親孝行をさせてもらったかなと子どもである私たちの気持ちも晴れました。

旅行記、見てくださっってありがとうございました。
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by irohanihoheto_ku | 2013-05-17 10:15 |

2013GW④

この日は延暦寺会館泊です。
始めて観る琵琶湖・・・・
お部屋に入ってこの眺めは感動でした。
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夜景もきれい・・・
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夜明け前
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夜明け
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山が白んで墨絵のようです。
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by irohanihoheto_ku | 2013-05-15 23:53 |

2013GW③-3

瑠璃光院を後にして、次は三千院界隈へ。

天台宗の門跡寺院、「三千院」。わたしは高校の修学旅行の時以来です。
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この時期、どこに行っても新緑が美しい!!葉っぱってとっても薄いのね。光を通して木陰にいる人の顔が新緑色に染まります。
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三千院は八重桜、牡丹、鯛釣草、シャガなど沢山のお花が咲いていました。可愛い仏様も・・・
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往生極楽院におはします阿弥陀三尊像は、、なんか違うな~~と思って見ていたら、観音菩薩坐像さん、姿勢菩薩坐像さんの座り方が、足を組まず「大和すわり」をしていらっしゃいます。どうしてこういう形で彫り上げたのでしょうね。今にも立ち上がって動きそうな感じもします(^^;
三千院の文化財 http://sanzenin.or.jp/guide/heritage/02.php

三千院をでて奥に歩きます。
お~~目の前に立派なお堂!!「勝林院」。ものすごい存在感です!
声明の根本道場だそうです。
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勝林院を左に折れ・・・
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私の行きたかった場所にいよいよ到着!!
ネットのお友達のhanarengeさんのブログで紹介されていたのをみて、ずっと行きたかったところ、「宝泉院」。

立派な五葉松がお出迎え。
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客殿に足を踏み入れると・・・そこは見事に「額縁庭園」。
4月にお花見をした「滝桜」の幹も凄かったですが、この五葉松も負けていません!!
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左を見ると新緑の竹林。
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緋毛氈の上でお抹茶が頂けます。

大原は声明の里、声明を聞きながらこちらに半日ぐらい居たいものです。

これから比叡山へ上ります。
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by irohanihoheto_ku | 2013-05-14 13:36 |

2013GW③-2

さてさて、大原です。

喜寿の母2人を連れての旅のため計画は最低限しか立ててなく、あとはその日の体調と気分でと考えていました。朝食後「さぁて、今日はこれからどうする?」と会議。

で、、昨日苔寺から乗ったタクシーの運転手Yさんがとてもいい人だったので、その方にお願いして母2人が行ったことがないという大原に行くことにしました。・・・・私の誘導もあったけど・・・(^^)

大原に行く途中、急にタクシーの運転手さんが「あ、今通りすぎちゃったんですが、春と秋限定で公開している場所があるんですが寄りますか??」と提案してくださり、「限定」に弱い私たちは快諾!!そして戻りました。

「瑠璃光院」、思いがけない素敵な出会いでした。
浄土真宗の寺院ですが、元は三条実美にゆかりがある場所で、その後料亭に使われたりしていた時期もあったとYさんが教えてくれました。
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三条実美が命名した庵があり、自筆の扁額が玄関正面に掲げてありました。立派な字です!!
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囲碁の対局の会場にもなるとか・・・・静かでピッタリの場所です。
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壬申の乱で大海人皇子が傷を癒されたという「八瀬」(「矢背」)、今でも釜風呂がありました。サウナですね。
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そして、みごとな瑠璃・・・ラピスラズリー。パワー発してそうでしたよ!!
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売店にいらした方がおっしゃっていましたが、この5月の春の特別公開が済んだら、一度公開方法を考え直すとのこと。
2005年から春、秋の期間限定の特別公開を始めたというから8年になりますね。
苔寺も以前ははがきを出さなくても拝観できたそうですが、文化財を守る為には多くの人に見ていただくこととそれを保護することを一緒に考えていくかなくてはならないのでしょう。

私たちが帰る頃に、団体のツアーのお客さんが大勢いらしていました。確かにいっぺんに団体のお客さんが連なったら、あの年代物の瀟洒な建物は悲鳴があがるかも・・・・
でも、癒される素敵な場所だし、みごとな瑠璃も皆さんに見ていただきたいと思うし・・・

どのような拝観方法になるのかしら・・・・

瑠璃光院のHP  http://rurikoin.komyoji.com/
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by irohanihoheto_ku | 2013-05-14 10:56 |

2013GW③ー1

大原に行く前に、主人の希望でちょっと寄り道。
私たちが所属している流派ではありませんが・・・・

三千家の内の2つ。
こちらは表千家、不審庵。
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そしてすぐ裏が裏千家、今日庵。
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この通りはなんとなくみずみずしく、今日庵の前を、お弟子さんでしょうか着物姿の男性が行き来していました。千家の前にはお道具屋さん、この時間にお道具を車に沢山詰めてお茶席の準備でしょうね、スーツ姿の男性が数人乗った車が出発を待っていました。
あ~~この通りはお茶の世界、お茶の時間、お茶の空気・・・そんな一角でした。
では次は大原です。
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by irohanihoheto_ku | 2013-05-11 23:02 |

2013 GW②

京都に着いて2日目。
朝食前に宿の近くを散策。パワースポットの「晴明神社」に行ってきました。
お~~ここが陰陽師の・・・・
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御神木の楠が大きい!!
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写真の立て看板の上に金色の丸いものが見えますか?「厄除桃」がありました。
ある本で読みましたが、桃は厄除けだから鬼退治は「桃太郎」でなければならなかったと。
また鬼とは幽霊・・成仏できない霊魂のこと、鬼は丑寅の方角から入ってくるから、鬼のいでたちは角があって虎のパンツをはいていると・・・

そして携帯の待ち受けにすると厄払いになるという晴明井を写し目的達成!!

またここは千利休の屋敷跡になっていて、利休が最後にお茶を点てて服したのはこの井戸の水ではなかったか・・・・と・・・想像は膨らみますね。
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朝食後は大原を巡ります。
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by irohanihoheto_ku | 2013-05-09 10:04 |

2014.GW①

今年は前から話としてはあったのですが、私の母を連れ京都で主人の母と待ち合わせをして観光をするという2人の母連れの旅をしました。

ここは母の希望した場所。苔寺と言われる「西芳寺」。予め往復はがきで申し込みが必要で、お堂で写経をしてからの拝観となります。
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ぱらぱらお天気雨が降ったりでしたが、新緑の美しさに感動でした。静寂、鳥の声、若楓・・そして木漏れ日が落ちる苔の絨毯!!
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写経中に屋根修理の「ドンドンど~~ん」という音には興醒めでしたが、庭園内はゆっくり散歩できました。
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by irohanihoheto_ku | 2013-05-08 09:11 |

プチ奥の細道紀行③

壺の碑に泪し、芭蕉は次の歌枕、沖の石、末の松山へと向かいます。
「末の松山」のくだりです。

それより野田の玉川・沖の石を尋ぬ。末の松山は、寺を造りて末松山といふ。松のあひあひ皆墓はらにて、はねをかはし枝をつらぬる契りの末も、終(ついに)はかくのごときと、悲しさも増りて、塩釜の浦に入相(いりあひ)のかねを聞く。五月雨の空聊(いささか)晴れて、夕月夜幽に、籬(まがき)が島もほど近し。蜑(あま)の小舟こぎつれて、肴わかつ声々に、「つなでかなしも」とよみけん心もしられて、いとど哀也。・・・・
このくだり、芭蕉の頭を多くの古歌がよぎり、芭蕉の文章ものってると思いませんか??
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古歌を調べてみるとこんなにあります。
「夕されば汐かぜこえてみちのくの野田の玉川鵆(ちどり)なく也」 能因法師
「我恋はしほひに見えぬ沖の石の人こそしらねかはく間もなし」 二条院讃岐
「君ををきてあだし心をわがもたば末の松山波もこえなむ」 古今集
「ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山なみこさじとは」 清原元輔
「我せこをみやこにやりて塩釜の笆の島にまつぞわびしき」古今集
「世の中は常にもがもな渚こぐあまの小舟つなでかなしも」源実朝

例えば、ユーミンが好きだった大学時代、歌に出てくる「ドルフィン」というお店に行き「あ~~あれが三浦岬だぁ~~~」と興奮したり、サザンの歌に出てくる江ノ島をながめ浸ってみたり、、、とっても平たく言えばそんな芭蕉の気持ちが感じられるのは私だけでしょうか?
また、松林に中にある墓場をみて、比翼連理の契りを交わしても「ついのすみかはここかぁ~~」と空しくなったのかな?無常観を感じたのかな?なんだか旅人芭蕉を身近に感じます。

こちらが「末の松山」。大きくて立派な松です!写真右下は奥の細道の記述通り墓地になっています。
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「末の松山」は海岸からかなり離れたところにあり波が越えて来ることはあり得ない。「波が越える」ということは契りを結んだ愛が破局することを意味し、「末の松山」は変わらぬ愛情を表す歌枕なんですね。
また、 「はねをかはし枝をつらぬる契り」とは比翼連理の契りのこと。

もちろん東日本大震災でも「波は越える」ことはありませんでしたよ。

先生をお連れした日はとても天気が良く、風も気持ち良い日で、この2本の松を眺められ、「この風は海風か?」と塩釜の浜の気配を感じておられ、また、「松風、般若を談ず」とおっしゃって「般若とは智慧だ、頭脳ではなく大自然とか、宇宙とかの・・・」と教えていただきました。

帰京後に頂いたお葉書に、「松風に心身を洗ふ」と書かれていたのでこの時間は良い時間だったのだなと嬉しくなりました。

そして、末の松山から少し下ると「沖の石」があります。安全の為か柵がめぐらされ動物園のようで風情に欠ける状態ではありましたが、新しい家が立ち並ぶ現在致し方ないのでしょう。
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お陰様で、随分地元のことが分かるようになりました(笑)どうぞ、皆様お出かけくださいませ。
プチ奥の細道紀行、お付き合いいただきありがとうございました!!
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by irohanihoheto_ku | 2013-04-28 17:46 |

プチ奥の細道紀行②

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さて、「壺の碑」と言われる「多賀城碑」のことです。
私が訪ねた時間に運よくボランティアガイドさんと遭遇し、これまた自称「多賀城ファン」という方でこの碑について熱弁を振るってくださいました。お陰様で奈良と多賀城を結ぶ線、大和朝廷の勢力、そして政権交代の悲哀なども垣間見られ、学校で習った歴史がリアルに迫ってきました。
ブログを作る今になって、さて、あの碑の名前はどうして「壺?」という疑問が湧いてきましたが、それはまた別の機会に勉強したいと思います。
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この写真では「西」しか見えませんね(^^;
芭蕉が奥の細道で立ち寄った「壺の碑」には何が刻されているか・・・・漢文は読み下しで載せますね。
字は風化していますが六朝風です。
多賀城市のサイトも載せます。http://www.city.tagajo.miyagi.jp/monosiri/bunkazai/zyuubun/      
多賀城       京を去ること一千五百里
            蝦夷国の界を去ること一百二十里
            常陸国の界を去ること四百十二里
            下野国の界を去ること二百七十四里
 西          靺鞨国の界を去ること三千里
      此城は神亀元年 歳(ほし)は甲子(きのえね)に次(やど)る、按察使(あぜち)・兼鎮守将軍・従四 位上・勲四等大野朝臣東人の置く所也。天平宝字六年 歳(ほし)は壬寅(みずのえとら)に次(やど)る、参議・東海東山節度使・従四位上・仁部省卿・兼按察使・鎮守将軍藤原恵美朝臣朝獦(あさかり)、修造する也。
                                    天宝宝字六年十二月一日


多賀城からの四方各地の距離を示した内容が刻されているのです。
多賀城は大和朝廷が蝦夷制圧するために軍事拠点としていたところです。
この記録は、続日本紀にされていない内容でこの碑の記録が時代の前後を推測するものさしとなったということから重要文化財に指定されたとガイドさんが教えてくれました。

さて、この碑から分かること・・・・

蝦夷の国という国はないので、多賀城から120里のところ、ガイドさんによると築館だという・・築館以北がその当時は蝦夷が住んでいたということらしい。そして靺鞨は渤海だろう・・・三千里というのは果てしなく遠いという単位ということ・・・

多賀城は神亀元年に築かれた。神亀元年は724年。芭蕉が壺の碑のくだりで「聖武天皇の御時に当たれり」と記述している通り、724年は聖武天皇即位の年。

それで、天平宝字六年に藤原恵美朝臣朝獦がその城を修繕したというのです。
朝獦とは、藤原仲麻呂の息子。仲麻呂は不比等の子武智麻呂の子(光明皇后の甥)だから藤原四家の一つです。

聖武帝即位の年多賀城築城、その38年後である762年(天平宝字六年)に藤原不比等にとっては曾孫にあたる朝獦(光明皇后の甥の息子)が多賀城を修繕するわけですね。

場所を奈良に移します。
724年 聖武帝即位  
727年 渤海より使者が来る
729年 光明子皇后となる
730年 薬師寺東塔、興福寺五重塔建立
737年 藤原4兄弟疫病で病死  752年ごろから藤原仲麻呂全盛
758年 聖武帝と光明皇后の娘である孝謙天皇が淳仁天皇に譲位
      実権は仲麻呂が握り、仲麻呂の後見人である光明皇后の強い影響力があった
759年 唐招提寺金堂・講堂完成   
760年 光明皇太后崩御
763年 道教が孝謙上皇に重用される
764年 藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱 道鏡・孝謙上皇側に敗れ大津で息子朝獦とともに殺される。
      孝謙上皇は称徳天皇として重祚
770年 称徳帝没、道鏡追放、光仁天皇即位・・・天智天皇系へ戻る

    
今度は芭蕉が旅した1689年(元禄2年)に行きましょう。
聖武帝即位から965年後、まさに千歳の記念(かたみ)の碑であったのでしょう。

ここからは多賀城ファンのガイドのおじさんの熱弁の受け売りですが、

一時期全盛を誇った藤原仲麻呂が光明皇后(仲麻呂の叔母)死後、孝謙上皇が道鏡に肩入れした為に政権争いに負け息子とともに殺された、その悲劇の息子朝獦の名前と遭遇したことで「今眼前に古人の心を閲(けみ)す」と・・・単に西行法師が訪れた同じものを見ているという感慨ばかりではないのではないかと・・・・

う~~ん、古に心を馳せる・・・その想像の翼は広がります。そうすると歴史も楽しくなりますね。





  
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by irohanihoheto_ku | 2013-04-28 00:57 |