プチ奥の細道紀行③

壺の碑に泪し、芭蕉は次の歌枕、沖の石、末の松山へと向かいます。
「末の松山」のくだりです。

それより野田の玉川・沖の石を尋ぬ。末の松山は、寺を造りて末松山といふ。松のあひあひ皆墓はらにて、はねをかはし枝をつらぬる契りの末も、終(ついに)はかくのごときと、悲しさも増りて、塩釜の浦に入相(いりあひ)のかねを聞く。五月雨の空聊(いささか)晴れて、夕月夜幽に、籬(まがき)が島もほど近し。蜑(あま)の小舟こぎつれて、肴わかつ声々に、「つなでかなしも」とよみけん心もしられて、いとど哀也。・・・・
このくだり、芭蕉の頭を多くの古歌がよぎり、芭蕉の文章ものってると思いませんか??
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古歌を調べてみるとこんなにあります。
「夕されば汐かぜこえてみちのくの野田の玉川鵆(ちどり)なく也」 能因法師
「我恋はしほひに見えぬ沖の石の人こそしらねかはく間もなし」 二条院讃岐
「君ををきてあだし心をわがもたば末の松山波もこえなむ」 古今集
「ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山なみこさじとは」 清原元輔
「我せこをみやこにやりて塩釜の笆の島にまつぞわびしき」古今集
「世の中は常にもがもな渚こぐあまの小舟つなでかなしも」源実朝

例えば、ユーミンが好きだった大学時代、歌に出てくる「ドルフィン」というお店に行き「あ~~あれが三浦岬だぁ~~~」と興奮したり、サザンの歌に出てくる江ノ島をながめ浸ってみたり、、、とっても平たく言えばそんな芭蕉の気持ちが感じられるのは私だけでしょうか?
また、松林に中にある墓場をみて、比翼連理の契りを交わしても「ついのすみかはここかぁ~~」と空しくなったのかな?無常観を感じたのかな?なんだか旅人芭蕉を身近に感じます。

こちらが「末の松山」。大きくて立派な松です!写真右下は奥の細道の記述通り墓地になっています。
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「末の松山」は海岸からかなり離れたところにあり波が越えて来ることはあり得ない。「波が越える」ということは契りを結んだ愛が破局することを意味し、「末の松山」は変わらぬ愛情を表す歌枕なんですね。
また、 「はねをかはし枝をつらぬる契り」とは比翼連理の契りのこと。

もちろん東日本大震災でも「波は越える」ことはありませんでしたよ。

先生をお連れした日はとても天気が良く、風も気持ち良い日で、この2本の松を眺められ、「この風は海風か?」と塩釜の浜の気配を感じておられ、また、「松風、般若を談ず」とおっしゃって「般若とは智慧だ、頭脳ではなく大自然とか、宇宙とかの・・・」と教えていただきました。

帰京後に頂いたお葉書に、「松風に心身を洗ふ」と書かれていたのでこの時間は良い時間だったのだなと嬉しくなりました。

そして、末の松山から少し下ると「沖の石」があります。安全の為か柵がめぐらされ動物園のようで風情に欠ける状態ではありましたが、新しい家が立ち並ぶ現在致し方ないのでしょう。
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お陰様で、随分地元のことが分かるようになりました(笑)どうぞ、皆様お出かけくださいませ。
プチ奥の細道紀行、お付き合いいただきありがとうございました!!
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by irohanihoheto_ku | 2013-04-28 17:46 |